『仏の顔も三度まで』とは。意味や使い方を徹底解説!

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こんにちは。今回は江戸時代から使われていた歴史あることわざを紹介していきます。

皆さんは『仏の顔も三度まで』ということわざを聞いたことはありますか。

『どんなに穏やかな人でも失礼なことを繰り返されては怒りだす』という意味があります。

仏さまが怒り出すなんて、こりゃとんでもないことをしたに違いない!

確かに、ちょっとした緊急事態ですよね。一体、何があったのでしょうか。

詳しく意味を知ることで、理由がわかるかもしれません。

本記事では『仏の顔も三度まで』を徹底解説していきます。

  • 『仏の顔も三度まで』の由来や意味
  • 具体的な使い方、良い例悪い例
  • 同義語や英文

ではさっそく詳しく見ていきましょう。

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読み方ほとけのかおもさんどまで
ローマ字hotokenokaomosandomade
意味どんなに穏やかな人でも、失礼なことを繰り返されると怒りだす
使い方あの人の話は嘘ばっかりだ。仏の顔も三度まで、もう信じられない。
類義語地蔵の顔も三度 (じぞうのかおもさんど)、堪忍袋の緒が切れる(かんにんぶくろのおがきれる)
対義語
英文You can only go so far(仏の顔も三度)

『仏の顔も三度まで』とは

『仏の顔も三度まで』とは

江戸時代から使われていたこのことわざですが、元々は『仏の顔も三度撫ずれば腹立つ』といわれていました。

「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」

慈悲深い仏様といえども、三度も顔を撫で回されたら腹を立てるということ。

引用元 故事ことわざ辞典

このことわざは『上方いろはかるた』の『ほ』で始まる札として、人々のあいだで親しまれていました。。

『上方いろはかるた』とは古いことわざが多く収録されている『かるた』ことです。

だんだん広がって削ぎ落とされたのちに、今の『仏の顔も三度まで』になったといわれています。

言葉のルーツをたどると、お釈迦さまの国がコーサラ国によって滅ぼされたエピソードからきているようです。

【由来】お釈迦さまの逸話

【由来】お釈迦さまの逸話

コーサラ国王のヴィドゥーダバは釈迦族による無礼に憤慨し、釈迦族が住むカピラ城に3度攻め込みましたが、そのたびにお釈迦さまの説得を受けて兵を引き揚げていました。ところが4度目に攻め込まれたとき、お釈迦さまは宿縁を悟り、相手を説得しませんでした。その結果、コーサラ国の軍隊はカピラ城の中で残虐の限りを尽くし、釈迦族は殲滅(せんめつ)されてしまいます。

引用元 お釈迦さまの逸話

なんだ。怒っているのは仏さまではなかったんだな。

そうなんです。エピソードの中で怒っているのは仏さまではありません。

しかし、現代は『仏さまは三度目までなら許してくれる』と解釈されていることが多いようです。

【意味】どんなに穏やかな人でも失礼なことを繰り返されると怒りだす

【意味】どんなに穏やかな人でも失礼なことを繰り返されると怒りだす

仏の顔も三度までとは、どんなに温厚な人でも、何度も無礼なことをすれば怒り出すことのたとえ。

引用元 故事ことわざ辞典

『仏』とは穏やかで滅多に怒ることのない人を指しています。口に出さなくても、何度も失礼なことを繰り返したら腹を立てるのは仕方ありませんね。

また『三度』には二通りの意味があります。

  1. 三度試みる
  2. たびたび、何度も

結局、何度目から怒られてしまうのでしょうか。

もう少し詳しく見ると、日本語の『三』区切りを表しています。三度目を境に気持ちが変わり、本当に怒って見捨てる結果になりかねないこと示しています。

そのため、正確に○度目からはアウトというより、何度か試みるうちの『三』を区切りにしているというニュアンスが近いのではと考えられます。

ことわざのイメージ

穏やかで滅多に怒ることのない仏さまのような人でも、何度も無礼を繰り返すと怒り出すこと。

【使い方】何度も無礼を繰り返すとさすがに怒り、次は許さない

なるぞうさんはあるものを見つけました。

冷蔵庫にケーキがある。
美味しそうだ、いただきます。

なるぞうさん、それ私のケーキですよ。
後で食べようと思ってたのに。

すまない。残り物かと思って食べてしまったよ。

この前も同じことがありましたね。
仏の顔も三度まで。次食べたら怒りますよ。

はい……。

いやー。食べ物の恨みは怖いですね。

このように何度もおこった出来事に対して、次は許さないといったニュアンスで使われます。

【良い例と悪い例】『仏の顔も三度まで』間違えやすい言い回し

『仏の顔も三度まで』悪い例

あの先輩は優しい人だけど、仏の顔も三回まで。次はミスしないよう気をつけよう。

三回と三度って同じ意味なんじゃないのって思うかもしれません。実は『回』は規則的に繰り返しが予想、期待されているときに使われます。ミスは繰り返しを期待されてないですよね。

『仏の顔も三度まで』良い例

あの先輩は優しい人だけど、仏の顔も三度まで。次はミスしないよう気をつけよう。

『度』は規則的な繰り返しを期待されていないときに使われます。よって正しい使い方といえます。

【類義語】2つ紹介『仏の顔も三度まで』

【類義語】2つ紹介『仏の顔も三度まで』

『地蔵の顔にも三度』

『地蔵の顔にも三度』『じぞうのかおもさんどまで』と読みます。

悲深い地蔵菩薩も顔を三度も撫でられると腹を立てることを意味しています。

『仏の顔も三度まで』とほとんど同じ意味ですね。お地蔵さまも仏さまと同じくらい穏やかで尊い存在です。。

堪忍袋の緒が切れる

『堪忍袋の緒が切れる』『かんにんぶくろのおがきれる』と読みます。

怒りを抑えてがまんを重ねてきたが、もうこれ以上がまんできなくなることを意味しています。

『堪忍袋』とは我慢する心の広さを袋にたとえたもので、緒(しばった紐)がきれることをいいます。

一気に爆発するイメージがあるので、怒らせたらとても怖そうです。

【英文】『You can only go so far』を紹介

You can only go so far .(それが許せる限界である=ものには限度がある=仏の顔も三度まで

only:たったそれだけ

go:行く

so far:そこまで 

only go so far:ある距離までしか進めない=限界がある

直訳すると、ある距離までしか進めないそれ以上は進めない、つまりできることには限界がある=『それが許せる限界だ』となり、仏の顔も三度までと解釈する事ができます。

三度という言葉は入ってませんが、仏さまが三度目で限界なら、私たち人間はもっと早く限界を迎えているといっているのかもしれません。

もし、三度を使うとするならば、以下の様な言い方が出来ますね!

((例))

This is the third time!Don’t forget you can only go so far . (今回で3度目だ!仏の顔も三度までだという事を忘れるな

人から言われないように・・・気を付けましょうね!

『仏の顔も三度まで』まとめ

『仏の顔も三度まで』まとめ

いかがでしたか。『仏の顔も三度まで』を理解できましたか。

『三度』や『三回』、『三度まで』など、同じようだけどちょっとずつ意味が違うんだね。日本語って奥が深いんだな。

そうね。でも大事なのは同じことを繰り返さないよう注意する気持ちなのかもしれませんね。

確かに。冷蔵庫にケーキが残っていたら、次からは声をかけて食べるようにしよう。

  • 【意味】どんなに穏やかな人でも失礼なことを繰り返されると怒りだす
  • 【使い方】何度も無礼を繰り返すとさすがに怒り、次は許さない
  • 【類義語】『地蔵の顔にも三度』地蔵菩薩も顔を三度も撫でられると腹を立てる、『堪忍袋の緒が切れる』怒りを抑えてがまんを重ねてきたが、もうこれ以上がまんできなくなること
  • 英文】『You can only go so far』仏の顔も三度

以上です。読んでくださってありがとうございました。

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