過ちては改むるに憚ること勿れ(あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ)という言葉聞いた事ありますか?
余耳なじみにのないことわざだと思います。このことわざの意味は間違ったことをしたら気にせず直せ。間違っていることをごまかさずにきちんと謝って直す人は、素敵だと思いませんか?
ここではそんな人間みな心に刻むべきこのことわざを丁寧に解説してみました。
さっそく見て行きましょう。
読み方 | 過ちては改むるに憚ること勿れ(あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ) |
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意味 | 間違ったことをしたら気にせず直せ |
使い方 | みんな間違のだからそれに気づいたらすぐ直すことが大切 |
英文訳 | It is never too late to mend.(行いを改めるのに、遅すぎることはない) |
類義語 | 過ちて改めざる、是を過ちと謂う(あやまちてあらためざる、これをあやまちという) |
過ちては改むるに憚ること勿れ
まずは、由来を見ていきましょう。
由来『完訳 論語』
過ちては改むるに憚ること勿れ(あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ)の由来ですが、『論語』からの引用の様ですそして、この部分はとある一節の中の一部です。
一応作者としては、『論語』は孔子と弟子たちの問答なので、孔子の弟子たちなのかなと思います。
少し長くなりましたが、由来の部分を一緒に見てみましょう。今回は井波律子訳『完訳 論語』(岩波書店、二〇一六)より引用しました。
(白文)
「子曰、君子不重則不威、學則不固、主忠信、無友不如己者、過則勿憚改、」
(書き下し)
「子曰く、君子は重からざれば則ち威あらず。忠信を主とし、己れに如からざる者を友にすること無かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。」
(意味)
「先生は言われた。「君子は重々しくなければ威厳がない。学問をすれば、頑固でなくなる。まごころ誠実さを主とし、自分より劣る者を友人にするな。過ちを犯したならば、ためらわずに改めよ」。」
『論語』(学而(がくじ)1-8)
(井波律子訳『完訳 論語』(岩波書店、二〇一六)p9より引用
(語注)君子…ひとかどの立派な人(同書p2より引用)
固(こ)…頑固(同書p10より)
忠…誠心誠意まごころを尽くすこと。(同書p5より引用)
信…誠実に信義を守ること(同書p5より引用)
過つ…過ちをおこす(同書p10より引用)
これが全文となっております。人として大切な心構えを表している文章を表している部分ですね。
けれど、この部分の中でも特に忠信(ちゅうしん)を主(しゅ)とし、己れに如(し)からざる者を友にすること無(な)かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿かれ」は重要視されていたようです。
というのも、もう一度「子罕(しかん)9-25」(参考2)にてこの「忠信(ちゅうしん)を主(しゅ)とし、己れに如(し)からざる者を友にすること毋(な)かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿かれ」が再登場しており、その時には上の「子曰く、君子重(おも)からざれば則(すなわち)ち威(い)あらず。」が無くなっています。
(参考1)
この論語は様々な解釈がある難解な本として有名です。吉川幸次郎の『論語 上(角川ソフィア文庫)』(KADOKAWA、2020)には複数の解釈がされており、今回引用ものは、伊藤仁斎が解釈と似たものなので、仁斎の訳を参考にしているのかなと思いました。
他にも解釈の仕方がある様なので調べて見るとよいかなと思います。
(参考2)
『論語』に二度登場することは、先ほど説明しました。井波律子訳『完訳 論語』(岩波書店、二〇一六)p10によるとこの文章を使って孔子は弟子によく注意を呼びかけていたから、二度載っているのだとしています。先程触れたように孔子と弟子との対話の記録が『論語』なので、弟子たちはこの言葉を孔子によく言われていたから本にも強調して二度記したのかなと思いました。
また一回目は「無かれ」で二回目は「毋かれ」の異同(いどう)があります。
雑学
ここで気になるのは、学而などの篇名の名付け方です。
その名付け方はいったい何によるのでしょうか?
吉川幸次郎『論語 上(角川ソフィア文庫)』(KADOKAWA、2020)p23によれば、かなりアバウトらしく「…各篇のはじめの章のなかから、二字ないしは三字をつまみとって、一篇の名とする…」としています。例えばこの「学而」について同書によれば「はじめの章の第二句、学んで時に之を習う、学而時習之、の、二字をとって、篇名とする。」と書かれています。
「意味」直せ、間違いを
では、「過ちては改むるに憚ること勿れ」の意味を見てみましょう。
意味は、間違いに気づいたら、体裁を気にせずに直せという意味になります。
「直せ」と書いているのは、「~勿れ」は命令形で「~するな」という意味になるかれです。
ここまでだとやや物足りないと思いますので、類義語の「過ちて改めざる是を過ちと謂う(あやまちてあらためざるこれをあやまちという)」も見ていきましょう。
これも『論語』が語源なので井波律子訳『完訳 論語』(岩波書店、二〇一六)を使ってその部分を引用してみました。
(白文)
子曰、過而不改、是謂過矣。
(書き下し)
子曰く、過って改めざる、是を過ちと謂う。
(訳)
先生は言われた。「過ちをおかしながら改めないこと、これを過ちと謂うのだ」。
『論語』(衛霊公15-30)
井波律子訳『完訳 論語』(岩波書店、二〇一六)p476より引用
間違えを犯してもきちんと直すことが大切だとこの文章でも言っていますね。
「過ちて改めざる是を過ちと謂う」の例文
一文だけ作ってみたので確認していきましょう
場面:動画を見すぎて通信料がとんでもない額になりそうな中学生
・今月気づかずに4Gで動画を見ちゃったよ。使っただけ請求されるプランだからなぁ。やばいな。そうだ「過ちて改めざる是を過ちと謂う」だ。反省していることを誠心誠意親に伝えたら少しは罰が軽くなるかも。
「英文解釈」間違ったら直すその背中が美しい
過ちては改むるに憚ること勿れ(あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ)の英文を見ていきましょう
It is never too late to mend.
(1)It
このitは何を示すかわかりませんね。ここでは、意味の断定は出来ませんね
ただ、「to~」が後ろに控えているので形式主語の文になりそうですね。
(2)Is
主語がitなので、三人称のbe動詞isになっています。Isは現在形の動詞で「~です」と訳します。
なぜ現在形なのでしょうか?綿貫陽、宮川幸久、須貝猛敏、高松尚弘著『ロイヤル英文法―徹底例解(改訂版)』(旺文社、二〇〇〇))によれば、現在形の用法には(真理・社会通念)という用法があるようです。この用法は簡単に言うと当たり前の事は現在形で書くということです。この用法に諺があてはまるようです。
(3)Never
これは「決して~ない」という文全体を否定する意味があります。
(4)Too
これは「late」を修飾して「~すぎる」です。では、何が「~すぎる」のか。続きを見てみましょう
(5)Late
「遅れる」という形容詞です。
(6)To
これだけでは、toの意味は確定できません。なのでその後を見ましょう。
(7)Mend
「改善する」という意味の動詞です。という事は、名詞とつながる前置詞の「to」(~へ などの意味)ではないという事になりますね。
(注意)「to」は何なのか?
やはり形式主語の文だったという事になりそうですね
少し形式主語の文について説明しますね。
一旦ここで全文を見てみましょう。
It is never too late to mend.
ですね。
詳しく説明すると長くなってしまうのですが、実は以下の文章だったと思われます。
to mend is never too late.
この様に主語が「to mend」だったのですね。
この「to+原型」が主語に来るとこの主語今回でいうと「to mend」が後ろに向かい、以下の様になります。
is never too late to mend.
主語が無くなってしまいましたね。そこに「it」を入れて「It is never too late to mend.
」の形が完成しました。ここで注意したいのが「it」は形式的な主語なので、訳しません。この文の主語は元々の主語である「to mend」で、今回の主語は「改善すること」となります。
この文章の訳し方としては「~することは~」が基本的な訳です。
直訳すると「改善することは、決して遅すぎることはない」という意味になります。
古谷三郎『諺で学ぶ英文法ことわざの世界で遊んでみませんか』(白帝社、二〇〇六)にはこの文の「it is」が省略されて「mistake(間違い)」が加わった形の「Never too late to mend a mistake.」という派生形やほかの表し方も書かれているので、気になる方は参考にされると良いと思います。
「語義」間違ったら直すことが大切
今回の「語義」はあまり使われない「憚」と「勿」に焦点をあてます。今回参考にしたのは、長澤規矩也(編集者代表)・原田種成・戸川芳郎『新明解漢和辞典(第四版)』(三省堂、二〇〇六)です。
それでは見ていきましょう!
(1)「憚(はばかる)」
イ.恐れ入る
ロ.遠慮する
ハ.忌み憎む
ニ.むずかしがる
今回は「憚る」と「憚り」で少し意味が異なる様なので、「憚る」で意味を取りました
以上から「遠慮する」の意味だと思われます。実際この辞書にもそのように書かれていました。
(2)「勿(なかれ)」
①禁止
「勿れ」で意味を取ると禁止の意味になります。つまり「~するな」という意味です。
「毋れ(なかれ)」と「勿れ(なかれ)」の違い
先程から「なかれ」がいくつか出てきたことと思います。今回は「勿れ(なかれ)」と「毋れ(なかれ)」の違いについて調べました。一応違いがあるようなので、少し触れてみましょう。二畳庵主人、加地伸行『漢文基礎【本当にわかる漢文入門】』(講談社、二〇一〇)によると「毋れ」は常時禁止しているという意味で、「勿れ」は状況によって禁止するという意味の様です。しかし、今はその区別はないようです。
「使い方」間違ったら潔く直せ
[chat face=”naruzou.png” name=”ためになるぞう” align=”left” border=”blue” bg=”none” style=””]「過ちては改むるに憚ること勿れ」かぁ、なんかわかりづらいなぁ。テストに出たら終わりだやばい![/chat]
[chat face=”obaasan_face.png” name=”ためになるこ” align=”right” border=”green” bg=”none” style=””]どうした?難しい顔して?お腹が痛いの?[/chat]
[chat face=”naruzou.png” name=”ためになるぞう” align=”left” border=”blue” bg=”none” style=””]明日の諺テストの範囲を見たらわけのわからん諺が出てたんだよ。何だっけ?過ちて…。もうわかんないよ[/chat]
[chat face=”obaasan_face.png” name=”ためになるこ” align=”right” border=”green” bg=”none” style=””]落ち着きなよ。私が丁寧に教えてあげるから。過ちては、なんとなくわかるでしょ、間違ったらって意味になるそうだなって。[/chat]
[chat face=”naruzou.png” name=”ためになるぞう” align=”left” border=”blue” bg=”none” style=””]うん!改めるも直すってことでしょ?気づかないと直せないから、ここまでの意味だったら間違いに気づいたら直すって事になりそうだね[/chat]
[chat face=”obaasan_face.png” name=”ためになるこ” align=”right” border=”green” bg=”none” style=””]そうだね!あっているよ。その後の「憚ること勿れ」が難しいよね。そこで本を見てみようか。円満宇二郎(編)『故事成語を知る辞典』(小学館、二〇一八)には人の事とか自分のプライドが傷つくとか関係なく、ちゅうちょするなという意味だとしているよ。
一応まとめると、間違ったことに気づいたら、自分のプライドとか、人の事とか気にせずに直せってことになるね。[/chat]
[chat face=”naruzou.png” name=”ためになるぞう” align=”left” border=”blue” bg=”none” style=””]わかったぞ!これでテスト100点だ[/chat]
[chat face=”obaasan_face.png” name=”ためになるこ” align=”right” border=”green” bg=”none” style=””]他の諺も勉強しないと100点取れないよ。気持ちが先走りすぎなんだから笑[/chat]
「例文」間違ったらすぐなおして次へ
「使い方」のためになるぞうとためになるこの会話を参考に過ちては改むるに憚ること勿れ(あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ)の文を作ってみました。
気づいたらマンガを返して謝ろう
やばい借りてたマンガを返していない。
あいつを怒らせないためにも過ちては改むるに憚ること勿れだ。早く謝って返そう。
めんどくさがらず買い物へ行こう
お母さんに買い物頼まれてたの忘れてた。昔の人も「過ちては改むるに憚ること勿れ」と言ってたからめんどくさがらず早く買い物に行こう。
謝れる先輩は後輩受けもいい
後輩に間違った指示をしてしまった。やばい。このまま後輩のミスとしてあやふやにしようかな。いやそれは、良心が痛む。そういえば昔おばあちゃんに「過ちては改むるに憚ること勿れ、直ぐに間違ったところを直しなさいと」言われたな。ここは、謝っておこうかな。
「過ちては改むるに憚ること勿れ(あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ)」まとめ
今回は、「過ちては改むるに憚ること勿れ」について説明しました。
最後に意味の確認をしましょう。
間違ったことに気づいたら、自分のプライドとか、人の事とか気にせずに直せ
今、プライドやメンツを気にして正しく謝れない人はいると思います。孔子は何千年と昔の人ですが、今でも通じる諺だと思います。
正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると言える人は素敵ですね。
だからこそ、かっこいい自分になるために敢えてかっこを悪くなるのもいいのではないでしょうか。
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