”罪を憎んで人を憎まず”
もしかしたら一度は耳にしたことわざかもしれません。
[chat face=”サラリーさん3.png” name=”なんだかリーマンさん” align=”left” border=”pink” bg=”none” style=””]なんだか矛盾していないかな・・??ただの綺麗ごとだよ。だって、被害者はそんな簡単には割り切れるはずないじゃん!”罪も憎むし人も憎む!!当然じゃない?!
[/chat]
ほとんどの方がそう思うのではないでしょうか?
では、どうしてこの様なことわざが語り継がれてきたのでしょうか。
ことわざの真意を知って、あなたも自分の考え方を変える一つの気づきになればと幸いです!
読み方 | 罪を憎んで人を憎まず(つみをにくんでひとをにくまず) |
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意味 | 罪は憎んだとしても、罪を犯した人まで憎んではならない |
使い方 | 罪をただ憎むだけではなく、その罪を犯すに至った原因を考えなさいという場面 |
類義語・対義語 | ((類義語))其の罪を悪んで其の人を悪まず(そのつみをにくんでその人をにくまず)
((対義語))坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(ぼうずにくけりゃけさまでにくい) |
英文訳 | Love the sinner , hate the sin.(罪人は愛し、罪を憎みなさい) |
罪を憎んで人を憎まず(つみをにくんでひとをにくまず)
[box02 title=”語源”]
中国の思想家”孔子”が残した言葉をを書き記した「孔叢子・刑論」の一説が語源と言われています。
古之聴訟者、悪其意、不悪其人(可なる哉古の訟を聴く者は、其の意を悪みて、其の人を悪まず)
意訳:罪を犯すには何らかの理由・原因があったはずなので、それらに目を向けるべきであり、罪そのもの、若しくは罪人に対してのみ目を向けて判断してはいけない
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[chat face=”koushi.png” name=”孔子さん” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]要するに、二度と同じ罪を犯させないようにする裁判をしなくてはならないと、司法官の心得を説いたのがはじまりです[/chat]
「意味」罪は憎んだとしても、罪を犯した人まで憎んではならない
罪を犯した人がいた時、その罪は憎んだとしても、罪を犯したその人までも憎んではならないという意味です。
罪を犯した人 或るいは 倫理・道徳に背く行為をした人に対して、行った行為は許されるものではありませんが、それを犯してしまった事情や背景があり、あなた自身がそれを裁くことは適切ではありません。
世間一般の常識から逸脱した”悪”とされる行為を行ったり、犯罪を犯したりした人に対して、悪い行為は許されるものではありませんが、その行為を行なった人に対しては寛容な態度で臨みなさい、人に対して寛容でありなさいと、人を赦すことに着目しているように感じます。
キリスト教の教え(聖書 ヨハネ福音書8章)にも同じ意味と解釈される記述があります。
[chat face=”イエスキリスト.png” name=”イエス・キリストさん” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]そこには私の考える罪と救いのポイントがよく現れています。一緒にみていきましょう[/chat]
イエスを試し訴えようとしていた学者たちが、姦淫の罪を犯した女をイエスのもとに連れてゆき、この女の罪をどう裁くのか問いました。
[chat face=”イエスキリスト.png” name=”イエス・キリストさん” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい[/chat]
これを聞いた人々は次々に立ち去っていきました。
最後にイエスのもとに残った女に、イエスは
[chat face=”イエスキリスト.png” name=”イエス・キリストさん” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]私もあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように[/chat]
と言い、女を赦し、帰しました。
「使い方」罪をただ憎むだけではなく、その罪を犯すに至った原因を考えなさいという場面
[chat face=”naruzou.png” name=”ためになるぞう” align=”left” border=”blue” bg=”none” style=””]何てことだ![/chat]
[chat face=”obaasan_face.png” name=”ためになるこ” align=”right” border=”green” bg=”none” style=””]ど、どうしたのですか?おじいさん!![/chat]
[chat face=”naruzou.png” name=”ためになるぞう” align=”left” border=”blue” bg=”none” style=””]昨日、吞み仲間の爺に信じて金を預けたら 持ち逃げしよった!許せん!許せんぞ!![/chat]
[chat face=”obaasan_face.png” name=”ためになるこ” align=”right” border=”green” bg=”none” style=””]あなた・・・確かに持ち逃げされてしまった事は悲しい事実ですが・・・罪を憎んで人を憎まずというでしょう?何か理由があるのでは?[/chat]
このように
罪をただ憎むだけではなく、その罪を犯すに至った原因を考えなさいという場面でも
罪を憎んで人を憎まず(つみをにくんでひとをにくまず)
を使うことが出来ます。
[chat face=”koushi.png” name=”孔子さん” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]被害者が加害者に対して憎んではいけないとだけ言っているのではなく、それが起こってしまった原因も考えなさいという事です。
[/chat]
「例文」悪い例と良い例
身勝手な理由で殺人を犯し続けた犯人だが、罪を犯した犯人も辛い心境であると思うので、罪を憎んで人を憎まず、あまり責めるのはよくない。
[chat face=”nigaoe_tsuda_umeko.png” name=”ひらめきおばさま” align=”left” border=”blue” bg=”none” style=””]加害者側を許すべきという使い方は間違った使用例です!被害者側が加害者側を許すべきという意味ではありません。お気をつけください![/chat]
捕まった万引き犯を店長は、罪を憎んで人を憎まずの態度で事情を聞いた上で諭し、代金の返済と二度とやらない事を約束させ、帰宅させた。
[chat face=”nigaoe_edogawa_ranpo.png” name=”ふむふむおじさま” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]犯した罪は罰するが、罪を犯す事情をあったのだろうから、罪を犯した人までも憎まなかったので、この場合にはぴったりだの[/chat]
「類義語」罪を憎んで人を憎まずの類義語・対義語 紹介
(類義語)其の罪を悪んで其の人を悪まず(そのつみをにくんでその人をにくまず)
意味は全く同じです。犯した罪は憎み罰してたとしても、その罪を犯した人まで憎んではないけない。
((使用例))
其の罪を悪んで其の人を悪まず、事故を起こした加害者が悔い改めているので、これ以上彼を追い詰めないようにしよう。
(対義語)坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(ぼうずにくけりゃけさまでにくい)
その人物を憎むあまり、その人物に関する全てのことが憎くなってしまう。
((使用例))
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、元カレの事を思い出してしまうので、しばらくそのネックレスもそれを買ったお店も見たくない。
[chat face=”nigaoe_tsuda_umeko.png” name=”ひらめきおばさま” align=”left” border=”blue” bg=”none” style=””]”罪を恨んで人を恨まず”は、誤用です!気を付けてくださいね。[/chat]
「英訳] Love the sinner, hate the sin.
Love the sinner , hate the sin.(罪人は愛し、罪を憎みなさい)
- love・・・愛する
- sinner・・・罪人
- hate・・・嫌う
- sin・・・罪
キリスト教の神学者 聖アウグスティヌスが残した言葉とされています。
法律上での罪”crime”を使用せず、”sin”を使用しているのは、今回の”罪”がどちらかというと”道徳的”な罪を表す場面で使用されているからです。
”罪”に相当する英単語
crime・・・法律上の犯罪、罪。法規範や法律に反する行為の事を指します
sin・・・道徳上の犯罪、罪。宗教、道徳に違反する行為の事を指します
vice・・・悪行の事。不道徳な行為、邪悪な行為(売春、賭博、麻薬、ポルノなど)を指します。
[chat face=”nigaoe_edogawa_ranpo.png” name=”ふむふむおじさま” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]今回のことわざを外国の方に英語で説明するならば、クリスチャンの間で良く知られている”sin”を使って説明すると良いぞ[/chat]
ご参考までに!!
まとめ
この記事では、罪を憎んで人を憎まず(つみをにくんでひとをにくまず)をご紹介致しました。
時代劇”大岡越前”や”遠山の金さん”のラストシーンに必ず出てくる”御裁き”。旧来のただ罪人を処罰すれば良いというものではなく、その罪を犯すに至った原因などを考えるということが普及したとされています。一体このことわざが伝えたっか事はなんだったのでしょう・・・
筆者の個人的な考えを述べるとするならば・・・それは
”自分が幸せに生きていくためには、人の罪に寛容になるのも必要”
犯された罪をいつまで経っても心の中に住まわせておけば、その先は何度も何度も思い出して自分で自分を傷つけてしまうことになります。
憎しみや恨みは 悪循環を招きます。許す・赦すことは、すなわち”自身の心を救う”事に繋がるのではないでしょうか。
いかがでしたか?ことわざを学んで、またあなたの毎日がより一層豊かなものになりますように!!
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