あなたにとって、最も大切なもの(道)とはなんですか?
すごく難しい質問だと思います。
本記事では、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という言葉の意味や類義語、使い方、例文を徹底解説していきますので、あなたも読みながら自分の大切なもの(道)について考えてみてください。
それでは一つ一つ見ていきましょう!
読み方 | 朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり(あしたにみちをきかば、ゆうべにしすともかなり) |
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意味 | 朝、人の生きている上でのあり方を知れば、晩に死んでも構わない。 |
使い方 | 朝に道を聞かば夕べに死すも可なりというと、私の願望と多少異なるがその心得は同じ。 |
英文訳 | If I could know how to realize my ideal in the morning, I would accept my death in the evening gladly.
(もし朝の内に理想を実現する正しい道を知る事が出来たなら、その日の晩の内に死んでも構わない。) |
類義語 | 武士は食わぬど高楊枝 |
「あした」はもとは「朝(あさ)」の意味を持っています。
「聞かば」とは、現代語の仮定形を表しています。現代語では「聞けば」となります。
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり
(1)由来
『論語-理仁(りじん)』に載っている「子曰、朝聞レ道、夕死可矣」が由来となっています。
死を前にした孔子は、死を気にするよりも人生の生き方を学ぶことの方が大切であると弟子たちに教えたとされています。
この考え方を、孔子のポジティブな考え方と捉えるか、死を前にしたネガティブな考え方と捉えるかは読者一人ひとりの見解により違うと思います。
(2)類義語
武士は食わぬど高楊枝
「武士は食わねど高楊枝」とは、江戸時代にできたことわざです。由来は、どんな空腹時でも、武士は楊枝を使い武士の気品を表した言葉とされています。
高楊枝とは、食後にゆっくりと爪楊枝を使うこと。爪楊枝を使うことで満腹感を示していた。(お腹が空いていても)
(3)対義語
酔生夢死(すいせいむし)
意味は、何も考えずぼんやりと無駄に一生を過ごすことです。また、酒に酔ったように、夢見心地で死んでいくこと。
「意味」悔いのない生き方をしていますか?
「朝に道を聞かば、夕べ死すとも可なり」と、弟子たちに教えましたが、それはどういった意味で教えたのでしょうか?
簡単に言えば、1番大切なことは、一番最初にやりなさいと言うことです。
裏を返せば、
もし、このまま死ぬことになっていても悔いのない生き方は出来ているのか?
と、問われているということです。
一番大切なことを初めにやっていればいつ終わりが来ても後悔しないで済むからです。
「使い方」答えがすぐに出ない時
[chat face=”naruzou.png” name=”ためになるぞう” align=”left” border=”blue” bg=”none” style=””]なんで生きているんだと思う?[/chat]
[chat face=”obaasan_face.png” name=”ためになるこ” align=”right” border=”green” bg=”none” style=””]ん〜。凄く難しい質問ね。[/chat]
[chat face=”naruzou.png” name=”ためになるぞう” align=”left” border=”blue” bg=”none” style=””]そうだよなぁ。こんなのずっと考えていても答えがわからないかもしれない。[/chat]
[chat face=”obaasan_face.png” name=”ためになるこ” align=”right” border=”green” bg=”none” style=””]「朝に道を聞かば、夕べに死すこと可なり」というように簡単には答えがわからないだろうね。[/chat]
すぐに答えが出せないような問題がある時に使うといいかもしれませんね!
これを参考に下にいくつか例文を載せてあります。
「例文」いつも笑えるように
例文1:「人が生きる意味を問われても、「朝に道を聞かば、夕べに死すこと可なり」というのだから、すぐには答えられない。」
例文2:「「朝に道を聞かば、夕べに死すこと可なり」というように、自分の進むべき道はゆっくり、時間を考えよう。」
「雑学」今と昔
現代、政治家の汚職行為が問題となっていますね。
もともと、権限があるもの上位にいるものはクリーンな生き方を求められていました。クリーンに生きるためには日頃の生活の質を高めていなければなりません。なぜなら、下の階級の者に信頼されなくなってしまうからです。また、生活の質を高めているのであれば、自分自身をしっかりと誘惑の魔の手から守ることが出来ます。
しかし、現代の日本人は第二次世界大戦後から資本主義社会という実利優先の損得社会が支配してきました。。ですので、生き方の質よりもどれだけ長く生きれるかを重視されてきました。
主宰する読書会に参加する経営者の2代目が、高級車でのデートや高価プレゼントで攻略した才色兼備の婚約者を連れて挨拶に来ました。そして数年後、彼が不安な顔で「妻が自分を見捨てるのではないか?」と心配ですと相談に来ました。
「物で惹きつける魅力は3年、ぼちぼち男の生き様で惹きつけられなければ、見捨てられる可能性も大である」と脅し、手持ち財産を誇る贅沢生活を改め、社員に感謝し謙虚な生き様に改めるように勧めました。お蔭で離婚することもなく立派な企業経営者に成長しました。企業経営にも生き様が重要です。何等かの拍子で大きく儲ける時があります。すると一流経営者と勘違いをして財布の紐が緩くなり、高級社長車や会社応接間の豪華調度品が目立つようになります。こういう物を「分不相応の持ち物」といいます。肝心の社長の人間器量ができていないから、周りに対して豪華な物で虚勢を張り、自社や社長個人を必要以上に大きく見せようとします。当然そこには無駄使いも生じますし、傲慢な鼻持ちならない経営姿勢が見え隠れするようになります。
掲句の「道」とは、日々の生き様のことです。日々の生活の生き様が驕り高まっていたら人生は危険です。まず虚勢に繋がる豪華な持ち物を点検してみてください。https://www.jmca.jp/column/ohara/genshi105.html
名古屋大原学院 学園長 杉山厳海さんのセミナーコラムから引用
誘惑の魔の手に囚われないためにも日頃の生活水準を高めておくことが大切だと言うことがわかりますね!
「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」まとめ
いかがでしたか?
・意味は、1番大切なことは、一番最初にやりなさいと言うこと。
・使い方は、簡単には辿り着けない答えがある時に使うと良い。
人生の中で最も大切なもの(道)とはなんだと思いましたか?
大切なもの(道)がわからないと、優先すべきことが何かわからず何をすれば良いかわからないと思います。
一番大切なものは自分自身が一番知っていそうですが、ここぞとばかりに考えてみても何も出てこなかったりしますよね。
自分が一番大切なものが分かっていない事に気づいていない人の方が多いと思います。
本記事を読み、それに気づけたのなら学び、大切なことを後回しにしないようにしてほしいです。
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