「泥の中に一輪の美しい花を見つけた。」
その一言で、あなたはどんなことを連想しますか?
まるで歌詞の一部のようですが、まさにそのようなことわざがあります。
このページでは「泥中の蓮」ということわざの意味と使い方を解説します。
読み方 | 泥中の蓮(でいちゅうのはす) |
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意味 | 汚れた場所にいても、それに影響されることなく、心が清らかで美しいこと |
使い方 | 人の心や行いが、悪い環境の中にいても清く正しいことに使います。 |
例文 | どれだけまわりがずる賢くても、しっかりとルールを守った彼はまるで泥中の蓮だ。 |
由来 | 仏教の教え |
類義語 | 涅すれども緇まず |
英訳 | A myrtle among thorns is a myrtle still.(茨の中でもギンバイカはギンバイカ) |
泥中の蓮(でいちゅうのはす)の意味と使い方を徹底解説
意味 粗悪な環境に染まらず、清らかで美しい心を持っていることのたとえ
意味は悪い環境にいても染まることなく、清らかで美しい心を持っていることのたとえです。
使い方 人の心や行いを表すのに使用
「清らかで美しい心」を持っていることなので、人の性格や行動を表すのに使用します。
した

また、その人が置かれている環境が粗悪なものでないと使用できません。



例文(良い例・悪い例)


















男しかいないサークルに入部してきた彼女は泥中の蓮だ。美しく目の保養だった。
中身の美しさではなく、見た目の美しさについて触れているのでこれは使い方として正しくありません。
花を扱うことわざは、外見の美しさや女性を表現しているように思われがちですが、「泥中の蓮」は内面の美しさを持つ人に男女問わず使用できます。
由来 仏教の教え
由来は仏教の教えです。



仏教の観点からすると、世の中は泥のような悪い環境であり、泥のなかで花を咲かせる蓮の姿に人の心の清らかさや美しさを重ねたと言えます。



類義語 涅すれども緇まず
類義語に「涅すれども緇まず」があります。



意味は「本当に白いものは黒い染料で染めても黒くならない」という意味です。



英訳 茨の中でもギンバイカはギンバイカ
仏教がメジャーではない英語圏では、英訳に蓮(lotus)は登場しません。
英訳は








ギンバイカの花は良い香りがして、またギンバイカは古代ローマでは「おめでたい花」として扱われていたそうです。



茨の中に、白くてかわいらしいこんなお花を見つけたら、泥の中に蓮を見つけるのと感覚的には似てそうですね!



まとめ
「泥中の蓮」の意味は悪い環境にいるのにもかかわらず、心が清らかで美しい人のことです。



「泥中の蓮」のような人間はなかなかいないかもしれませんが、このページを読んだあなたは、苦境のなかでも心が美しい人をみたときに、脳内に泥と蓮が思い浮かぶかもしれませんね。
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