地獄で仏に会ったよう(じごくでほとけにあったよう)ということわざを聞いたことはありますか?
[chat face=”鬼.jpg” name=”鬼ちゃん” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]地獄は俺たちの縄張りなのに、仏なんているわけないだろう![/chat]
[chat face=”仏.jpg” name=”仏ちゃん” align=”right” border=”gray” bg=”none” style=””]そんな救いようがないと思われるような困難な状況であっても、私と出会えたとしたら…[/chat]
[chat face=”鬼.jpg” name=”鬼ちゃん” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]は?一体どういうことぉ?[/chat]
地獄にお勤めの鬼ちゃんも理解に苦しんでいるようですね。本記事では、「地獄で仏に会ったよう(じごくでほとけにあったよう)」という言葉の意味や類義語、使い方などわかりやすく解説していきます。
読み方 | 地獄で仏に会ったよう(じごくでほとけにあったよう) |
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意味 | 危機や苦難の中で、思わぬ助けにあったときの嬉しさのたとえ。 |
使い方 | かばんをなくして、スマホもお金も身分証明も何もない状態だったけれど、家までの交通費を貸してくれる人がいたんだ。まさに地獄で仏に会ったようだったよ。 |
英文訳 | Like meeting a Buddha in hell(じごくでほとけにあったよう) |
類義語 | 闇夜に提灯、干天の慈雨 |
「地獄で仏に会ったよう」とは
非常に恐ろしい地獄で、苦しみや恐ろしい思いをしている時、思いがけず、その苦しみや恐ろしさから救ってくれる、慈悲深い仏さまに出会ったということから生まれたことわざ。
[chat face=”鬼.jpg” name=”鬼ちゃん” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]ちなみに地獄っていうのは、生きてる間に悪事を働いた人が、死んだあと行くところといわれているけれど、ほとんどの人が行く可能性があるらしい。[/chat]
[chat face=”仏.jpg” name=”仏ちゃん” align=”right” border=”gray” bg=”none” style=””]そうですね。お肉を食べたり、お酒を飲んでも地獄行きですからね。そして地獄はテーマパークのようにいくつものエリアに分かれているんです。[/chat]
[chat face=”鬼.jpg” name=”鬼ちゃん” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]八大地獄っていう有名な地獄の周囲に、小さな地獄もあって、俗に十六小地獄っていわれてるんだ。地獄は深くて広いぜ~♪[/chat]
[box03 title=”地獄まめちしき”]鬼ちゃん、仏ちゃんの言うとおり、地獄へは簡単に行けてしまいます。
現法律でいうところの「悪いこと」をしたら地獄へ行くのではなく、仏教でいうところの「五戒」を破ることにより地獄行きが決定するからです。
[jin-iconbox15]五戒(五つの戒め)とは?
①「不殺生戒」生き物を殺さない。
②「不妄語戒」うそをつかない。
③「不偸盗戒」盗まない。
④「不邪淫戒」不道徳な享楽に溺れない
⑤「不飲酒戒」お酒を飲まない
なかでも①の「不殺生戒」は蚊を殺すなどの直接の殺生のみならず、肉、魚を食べたり、野菜にいたっても生育途中で害虫駆除をしたものを口にすればOUT!です。え!厳しい!!
[/jin-iconbox15]
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「意味」 危機や苦難の中で、思わぬ助けにあったときの嬉しさのたとえです。
例えば、とても困っていて苦しんでいるときや、危ない状況にいるとき、思いがけない助けに出会って喜ぶことのたとえが「地獄で仏に会ったよう」です。
「ことわざのイメージ」
・困難や苦しみのなかにいて、予想もしない助けに会った嬉しさ。
・ひどく困っているときや、危ないときに思いがけない助けに会って喜んでいる様子。
・苦しく恐ろしい状況を「地獄」、そこで出会った思いがけない救いを「仏」にたとえている。
「使い方」救いようのないような困難な状況のなかで、思いがけない助けに会ったときに使います。
[chat face=”naruzou.png” name=”ためになるぞう” align=”left” border=”blue” bg=”none” style=””]そろそろ夏が始まるのう…[/chat]
[chat face=”obaasan_face.png” name=”ためになるこ” align=”right” border=”green” bg=”none” style=””]夏になると、若いころの海の事故を思い出しますねぇ。[/chat]
[chat face=”naruzou.png” name=”ためになるぞう” align=”left” border=”blue” bg=”none” style=””]離岸流にさらわれて、どう頑張っても岸にたどり着けず、助けを呼ぶ声も届かなかったあの日…[/chat]
[chat face=”obaasan_face.png” name=”ためになるこ” align=”right” border=”green” bg=”none” style=””]たまたま通りかかった漁船の方が、なるぞうさんに気付いてくれて…[/chat]
[chat face=”naruzou.png” name=”ためになるぞう” align=”left” border=”blue” bg=”none” style=””]あの時ほど「地獄で仏に会ったよう」と思ったことはないよ。[/chat]
[chat face=”obaasan_face.png” name=”ためになるこ” align=”right” border=”green” bg=”none” style=””]その仏さまに「ここは遊泳禁止区域だ!バカたれ!」と閻魔様より恐ろしい剣幕で怒られてましたっけね(笑)[/chat]
[jin-iconbox03]離岸流:岸から沖へ強く流れる海水の流れをいいます。とても強い流れで、一旦この流れにさらわれると逆らって泳ぐことは困難です。[/jin-iconbox03]
[jin-iconbox03]閻魔様:死後、生前の罪を裁く番人として知られていますが、実は地蔵菩薩の化身といわれています。[/jin-iconbox03]
このように、ひどく困っているときや、危ないときに、思いがけない助けに会った嬉しさをたとえるときに使います。
「例文」「地獄で仏に会ったよう」の使い方。悪い例、良い例を見てみましょう。
あの先生の授業聞いてると眠くてさ~。うとうとしてたら、アイドルの○○ちゃんの夢見ちゃって。まるで「地獄に仏に会ったよう」だったよ~。
[chat face=”鬼.jpg” name=”鬼ちゃん” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]困難でもないし、アイドルが救ってくれたわけでもない状態で使うのは間違ってる!そもそも授業中に居眠りするような悪い子は地獄行きだ![/chat]
足を骨折して松葉杖状態なのに、ひどい大雨の影響で電車が全線不通に。困っていたら友人が車で送迎してくれた。あの時は「地獄で仏に会ったよう」と心の底から思ったね。
[chat face=”仏.jpg” name=”仏ちゃん” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]ケガをしているだけでも困難なのに、そのうえ大雨で、さらに交通機関もマヒとは…。困難な状況の中、車を出してくれた友人は、まさに私(仏)のような人ですね。[/chat]
「類義語」「地獄で仏に会ったよう」2つ紹介します。
①闇夜に提灯
意味:ひどく困っている時に頼りになるものに巡り合うことのたとえ。また、切望するものに巡り合うことのたとえ。
使い方:学校帰り、英語で話しかけられて困っていたら、TOEIC800点のマサミちゃんが通りかかって助けてくれた。闇夜に提灯とはこのことだ。
②干天の慈雨
意味:待ち望むものがかなえられること。困難な場面で救いに恵まれることのたとえ。
[jin-iconbox03]干天とは?:天が干からびている、つまり水がないということ。日照り続きの天候を表している。[/jin-iconbox03]
[jin-iconbox03]慈雨とは?:慈しみの雨。つまり恵みの雨のこと。[/jin-iconbox03]
使い方:役者を目指して頑張っていた若いころ、バイト代も底をつき、極限の空腹状態だった私に、ラーメンをおごってくれた先輩は、干天の慈雨のような存在だった。
「英文」「地獄で仏に会ったよう」直訳を1つ紹介します。
Like meeting a Buddha in hell(地獄で仏に会ったよう)
まとめ
最後までお読みいただきありがとうございました。
いかがでしたでしょうか。
「地獄」という恐ろしい場所に、通常はいるはずのない「仏様」が現れるなんて、どれほど思いがけない喜びだったかは計り知れないですよね。
なんとなく恐ろしい場所としか認識していなかった地獄も、なかなかに奥が深そうです。
読み終えられた今、この記事が少しでも今後のお役に立てれば嬉しいです。
最後にポイントをまとめます。
意味としては、危機や苦難の中で思わぬ助けに会ったときの嬉しさのたとえや、ひどく困っているときや、危ないときに思いがけない助けに会って喜んでいる様子のことでしたね。
この「思わぬ」や「思いがけず」というところがポイントです。
ただの「ラッキー!」というニュアンスではなく、救いがない、もう駄目だというようななかで、まさかの!というような救いをたとえているので、あり得ないくらい嬉しい、喜んでいる状態ということですね。
「仏様」には遠く及びませんが、困っている人に気付いたら、迷わず救いの手を差し伸べることができるようになりたいものです。
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