「鬼籍に入る」という言葉をご存じですか?いや、知る知らない以前に「聞いたこともない」という方が多いのではないでしょうか?
普段口にする言葉ではないからこそ、自然に使用することで博識深く感じられるもの。またビジネスシーンで口にすると「配慮ができる人」と思われるかもしれません。
本記事では、「鬼籍に入る」という言葉の意味や類義語、使い方などを徹底解説していきます。読み終える頃には、この言葉のマスターになっているでしょう!
読み方 | 鬼籍に入る(きせきにいる) |
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意味 | 亡くなる |
使い方 | 直接的な表現を避け、婉曲に表したい時 |
英文訳 | die |
類義語 | 冥土に行く |
鬼籍に入るとは
「鬼籍に入る」は「亡くなる」という意味があります。「鬼籍」とは、亡くなった人の名前や死亡年月日などを載せる帳面のこと。「鬼籍に入る」とは、その死者の帳面である「鬼籍」に載るということになります。よって「死亡した人のリストに名を連ねる」=「死ぬ」ことを表すのです。
人が亡くなることの婉曲表現として使う「鬼籍に入る」。では何故「死ぬ」や「亡くなる」と直接いわずに遠まわしな表現をするのでしょうか?
その理由は中国からきています。
「鬼籍」とは閻魔大王が持っていると言われる死者の戸籍台帳のこと。いわゆる「閻魔帳」です。その死者の台帳をなぜ「鬼」の「籍」と呼ぶのかと言うと、中国で「鬼」とは死者を意味するからなんです。
とは言え死者のことを「鬼」と呼ぶのは、中国では禁忌と言われ好まれません。その中国と同じように、遠まわしに表現する風習が日本にも伝わったと言われています。
ちなみに日本では「死者」を遠まわしに表現するために「鬼」を使っています。
「意味」亡くなること
「鬼籍に入る」は「亡くなる」という意味があります。「鬼籍」とは、寺が死者の名前や死亡年月日などを記したノートのこと。その「鬼籍」に入った(書かれた)ということでできた言葉です。
ちなみに「入る」ではなく「鬼籍に登る」ともいいます。「鬼籍に行く」や「鬼籍に行った」は誤りなので注意しましょう。しかし「鬼籍に入った」は「鬼籍に入る」の過去形として正しい表現になります。漢字の違いなので、口にすると分かりにくいですね。
「ことわざのイメージ」
「鬼籍に入る」は「鬼」という文字を使うので、良いイメージは持ちにくいですよね。実際に「死ぬ」ということなので前向きな意味でもありません。
この「鬼籍」とは「閻魔帳」のこと。と考えると地獄行くこと?と思われる方も多いのではないでしょうか。でもご安心を!あくまで「鬼籍」「閻魔帳」は全ての死んだ人を載せる台帳のことです。地獄に行くか極楽に行くかはその後のこと。生前の行いでどちらに進むか決められるので…今を頑張って生きましょう(笑)。
「使い方」「亡くなる」を婉曲に表したい時
[chat face=”naruzou.png” name=”ためになるぞう” align=”left” border=”blue” bg=”none” style=””]わしももう随分と歳を重ねたのう。[/chat]
[chat face=”obaasan_face.png” name=”ためになるこ” align=”right” border=”green” bg=”none” style=””]あなただけではなくてみんな同じように歳をとっているんですよ。[/chat]
[chat face=”naruzou.png” name=”ためになるぞう” align=”left” border=”blue” bg=”none” style=””]同世代が次々に鬼籍に入るのを目の当たりにすると、余計に歳を感じてしまってなぁ。[/chat]
[chat face=”obaasan_face.png” name=”ためになるこ” align=”right” border=”green” bg=”none” style=””]そうですねぇ。知り合いが鬼籍に入ってしまうと寂しく感じますね。[/chat]
この例文のように、「死」という意味合いで使っています。
これを参考に下にいくつか例文を載せてあります。
「入る」という漢字は一般的に「はいる」や「いる」と読みます。しかしこの「鬼籍に入る」という言葉では「いる」としか読みません。
数年前に調査された「ことばの総泉挙/デジタル大辞泉」では49%の人が「いる」と読めましたが、半数は不正解。「鬼籍に入る」という言葉そのものを知らないという方も多いので納得の結果とも言えますね。
せっかくここで学んだのですからしっかり「いる」と読むと覚えておきましょう。
「例文」直接的な表現を避けて「死亡」を表すとき
「鬼籍」とは「死んだ人の名前や死亡した日にちを書き記した帳面」のこと。この帳面に名前が記入されるということは、すなわち「死」を表すことになります。「鬼籍に入る」は、亡くなるということです。
「死んだ」「亡くなった」という言い方が失礼に値するわけではありませんが、どなたかが亡くなったとき、直接な表現ではなく婉曲に表現するために使用します。一般的に知られている言葉ではないため伝わりにくい場合もありますが、使用すると丁寧な印象に感じられます。
なお、「鬼籍」という言葉はほどんどが「鬼籍に入る」という慣用表現で使われます。
・私の友人は若くして鬼籍に入った。
・祖父が鬼籍に入って、かれこれ15年たつ。
・長い闘病生活だったが、先月惜しくも鬼籍に入った。
上記のように人が亡くなったときに使用する「鬼籍に入る」ですが、「鬼籍」はネット用語としても使われています。
本来であれば「鬼籍」だけを使用して「死亡」という意味には繋がりません。しかしネット上では「鬼籍」のみを「亡くなる」という意味合いで使われています。また対象が「人」ではないパターンも。
・長い間街を賑わせていた商業施設が、ついに来月鬼籍。
・大好きな鉄道が鬼籍入りした。
・幼い頃から遊んでいた公園が、土地開発で残念にも鬼籍。
以上のように土地や乗り物を対象として使われることもあります。「鬼籍」単体はネット用語として捉え、本来の使用としては「鬼籍に入る」と覚えておきましょう。
[chat face=”naruzou.png” name=”ためになるぞう” align=”left” border=”blue” bg=”none” style=””]よし!それではビジネスシーンで使ってみよう。[/chat]
「死」という言葉はあまり良いイメージではないため、できれば使用を避けたいと思う人は多いはずです。そんな中「鬼籍に入る」は「死」の婉曲表現となるため、ビジネスシーンで使用されることも。
ただし、目上の方に対して使う場合は尊敬語に直す必要があります。
正しくは「鬼籍に入られる」あるいは「鬼籍に入られた」です。話し言葉として伝える場合は「○○さんが鬼籍に入られました」と使用します。基本的なことですが、社内の人のことを社外の方へ伝える場合は尊敬語は使いませんので使い分けには気を付けましょう。
なお「鬼」は「死」の婉曲表現ですので、使用しても失礼には値しません。一般的に社外へ伝える場合の多くは「急逝」の使用と思われます。
「急逝」「逝去」「死去」の違い
日本ではよく耳にするこの三つの言葉ですが、使い分けを間違うと恥をかくことに。この機会に覚えておきましょう。
「急逝」は前触れなく突然亡くなるときに使用します。「逝去」は尊敬語です。そのため身内には使用しません。敬意を込めて用います。注意すべきは「二重敬語」。「逝去」がすでに尊敬語になるため、「ご逝去」や「逝去された」は二重敬語となり誤用です。なお故人が年下や友人であっても、この「逝去」を用います。「死去」は身内の訃報を伝えるときに使用するものです。身内という意味では同じ会社の人の訃報を外に向けて伝えるときも「死去」となります。なお「急逝」も使用可能です。
「類義語」鬼籍にのぼる 他多数
「鬼籍に入る」は鬼籍にのぼるとも言います。
「死ぬ」や「亡くなる」を意味する言葉ですが、日本にはそれと同じ意味をもつ婉曲表現が多数溢れています。「死」と言っても、身分の高い人に対する表現や仏教用語など様々です。それではその一部に目を通してみましょう。
「身罷る」=この世から去る
「罷る」は「亡くなる」という意味です。「身罷る」とすることで、身(身体)がこの世から罷りさるということになります。「身罷る」はもともと身内の者の死をへりくだって表す謙譲語でした。現在は「身罷られる」という尊敬語の表現もあります。
・若くして身罷る
・昨晩、祖母を身罷った。
・身内を身罷ることはとても悲しいことだ。
泉下の客となる・泉下の人となる
「泉下」とは亡くなった人が死後に行くと言われる「黄泉の国」のこと。つまり泉下の客となるということは「死後の世界へ行く」ことを意味し、死ぬことに値します。「泉下の人となる」も同じ意味。このように間接的な表現は日本語の美しさを改めて感じますね。なお「黄泉」は「こうせん」とも読みます。
・恩師が泉下の人となられたと知り、悲しみで溢れている。
・私の母は昨年、泉下の客となった。
白玉楼中の人となる
中国の物語からできた言葉と言われています。
中国唐の時代。詩人だった李賀が「天帝が白玉楼を建てる。そこで記を書いて欲しい」と、夢の中でお告げを聞きました。それから程なくして李賀が亡くなります。そのことから、詩人や文人が死ぬと「白玉楼の中に入る」と言われるようになったそうです。
そのため、この「白玉楼中の人となる」は誰にでも使える表現ではありません。詩人や文人の死に対し、亡くなったときの表現として用います。ちなみに「白玉楼」は白い宝石でできている楼閣(高くそびえ立つ立派な建物)のことで、天に存在すると言われています。
・有名な詩を書く先生が、惜しくも白玉楼中の人となった。
・白玉楼中の人となった李賀の詩は、現在もなお多くの人の心に刻まれている。
冥土へ旅立つ
「冥土へ旅立つ」という表現をご存じの方は多いと思います。「冥土」は仏教用語で「あの世」のこと。死後の世界へ行くことを意味します。ここで注意すべきは、冥土が「地獄」「餓鬼」「畜生」という三悪道を表しているということです。そのため、身内のことで「冥土へ旅立った」というのは良いのですが、目上の方に対して使用するのは誤用となります。なお冥土は「冥途」とも書きます。「冥土へ旅立つ」は 「あの世に旅立つ、天に昇る」という意味です。
・不慮の事故で母が冥土へ旅立ってしまった。
・長年重病だった父が冥土へ旅立った。
お隠れになる
身分の高い人や目上の人が亡くなったときに使用する表現です。敬って使うものなので、家族や友人に対しては使用しません。
お世話になっていた上司がお隠れになった。
尊敬していた社長がお隠れになり、スタッフ一同悲しみに暮れている。
不帰の客
「不帰の客」は「帰る」ことを否定しているので「この世に帰らない人になる」という意味があります。
・病に侵されていたが、そのまま不帰の客となった。
・登山に行ったっきり不帰の客となった。
[chat face=”tameninaruzo2.jpg” name=”ためになるZO” align=”right” border=”blue” bg=”none” style=””]まだまだ間接的な表現は沢山あるゾウ[/chat]
入寂する(僧が死ぬこと)・他界する・永眠する・往生する・この世を去る・あの世に逝く・神に召される・御陀仏・冥籍・点鬼簿・逝去・事切れる・土に還る・神去る
「鬼籍」の類語も知っておこう
過去帳
お寺にある帳簿のことです。死者の俗名・法名・死亡年月日・享年などが記入されています。鬼籍とは違い、「死んだ」「亡くなった」という言葉の代わりに使われることはありません。お寺で管理している過去帳そのもののことです。仏具の1つとも言われています・
鬼録
鬼籍とほぼ同じ意味で、閻魔大王が死者の姓名を書くという帳面を指します。「鬼録に登る」と表現することで「死んだ」「亡くなった」という意味になります。
閻魔帳
閻魔大王が、死んだ人の生前の行いや罪を記しておく帳簿のことです。生前の行いだけでなく死者の名前と死亡年月日も記録されています。
教師や上司が生徒の成績や部下の行状を書き留めておくことを「閻魔帳」ということもあります。
「対義語」生存や誕生など
「鬼籍に入る」が死ぬことを表すのであれば、対義語は「生きている」ことを表す言葉となります。
生存
「生存」は、命がこの世にあることを意味します。生命を存続することになり、「鬼籍に入る」前の状態を表します。
誕生
「誕生」は人が生まれること。命が終わるという意味のある「鬼籍に入る」に対して「命が始まる」という真逆の意味です。
同じ対義語と言っても、この二つにも違いがあります。「生存」は生き続けること。「誕生」は生まれることとなります。
「英文」die・death
英語で「死・死亡」は「die・death」です。その他に「be killed(死亡する)」「pass away (亡くなる)」や「 go to heaven(天国へ行く)」という表現もあります。
英語にも「死」を意味する言葉は多くありそうですが、こんな英文を発見しました。
「join the great majority」
直訳すると「多数派に入る」という意味の英文です。しかし「亡き人の数に入る」という訳し方もあるとか。「great majority」 に「死んだ人々」という意味があるそうです。
ちなみに「鬼籍」そのものを英語にすると「necrology」。過去帳という意味にはなりますが、死亡することには使われません。
「die」は動詞なので「鬼籍に入る」と同じ意味となります。
まとめ
「鬼籍」は「亡くなった方の戒名・俗名・死亡年月日・享年などを記しておく帳簿」のこと。その帳簿に名前が入るということで「鬼籍に入る」=死ぬという意味になります。
この記事でお伝えしたように「死ぬ」の婉曲表現は多様です。それは言葉の美しさを重んじている日本人だからこそなのかもしれませんね。
なお「鬼」という言葉自体は中国でタブーとされていますが、日本では「死」のことを「鬼」とも表現します。この「鬼」を使った慣用句やことわざにも最後に触れておきましょう。
・「鬼に金棒」ただでさえ強いものに一層強さが増すこと
・「鬼が笑う」予測できない未来のことをからかう言葉
・「鬼の霍乱」普段、普段健康な人が珍しく病気になること
・「鬼を酢にして食う」恐ろしいものをなんとも思わないこと
以上のことわざでは「鬼」に「死」を意味する言葉はありません。「鬼」ひとつとっても色んな表現や意味合いがあるということです。
人は生まれた瞬間からどんな人であれ必ず「死」に向かっています。赤ちゃんでもご年配の方でも「たった今」が人生で一番若い日です。この瞬間を大切にして毎日を過ごしていきたいものですね。
この記事をラストまで読んでくださった貴方が「鬼籍に入る」まで幸せな日々でありますように。
「鬼籍に入る」は「はいる」とは読みません。「いる」です。尊敬語にして「鬼籍に入られる」としても「いられる」と読むので注意しましょう。
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