「嚢中の錐」( のうちゅうのきり) ということわざを聞いたことはありますか?
「初めて耳にした」
「使われている漢字にあまり馴染みがない」
という方も少なくないかもしれません。
この下にヒントを用意しました。
- 嚢(のう) とは 袋のこと
- 錐 (きり)とは 先の鋭くとがった小穴をあけるのに用いる工具
- 袋の中に錐(きり)が入っていたら、どうなるでしょうか?
- ヒントは、人の才能について使われることわざです。
あなたも「 嚢中の錐」ということわざが気になってきたのではないでしょうか?
本記事では、「嚢中の錐」(のうちゅうのきり)という言葉の意味や類義語、使い方と英文などを徹底解説していきます。
いっしょに楽しく学んでいきましょう。
読み方 | 嚢中の錐 (のうちゅうのきり) |
ローマ字 | Nochu no kiri |
意味 | すぐれた才能をもつ人は、凡人の中に混じっていても、自然とその才能が目立ってくることのたとえ |
使い方 | 子供の頃や、新人である時にすでに才能の芽を持っていることが明らかである(あった)人を評する時 |
類義語 | 頭角を現す(とうかくをあらわす) / 鶏群の一鶴(けいぐんのいっかく) |
対義語 | 大賢は愚なるが如し(たいけんはぐなるがごとし) |
英文 | Gimlet in the sac / Talented person will be come out from the crowd of people in future. |
「嚢中の錐」(のうちゅうのきり)とは
「嚢中の錐」(のうちゅうのきり)とは
袋の中に入れた錐の先が外に突き抜けて現れるように、才能のある人はかくれていても頭角を現す。すぐれた人物は、衆人の中にいても、その才能によって目立つことのたとえ。
引用元 :北村孝一『ことわざを知る辞典』(小学館、2018)
由来「嚢中の錐」
「嚢中の錐」(のうちゅうのきり)の
「由来」は『史記(しき)』という中国の歴史書の中の「平原君列伝(へいげんくんれつでん)」です。
世界史の授業などでも聞き覚えのある「司馬遷(しばせん)」が書いた中国の歴史書「史記」の中にその由来があります。
『史記』(しき)とは?
- 国は : 中国
- いつ : 前漢の武帝の時代に編纂される
- 作者 : 司馬遷(しばせん)
- 内容 : 歴史書 (五帝の黄帝から前漢の武帝までの中国の歴史)
その構成は?
- 本紀(12篇) – 主権者の交代を年代順に記した帝王の記録
- 表 (10篇)- 歴史事実を表にまとめたもの
- 書 (8篇)- 政治に関するテーマごとの記録
- 世家 (30篇)- 諸侯の一族ごとの記録
- 列伝 (70篇)- 各分野に活躍した人物の記録
合計130篇
Wikipedia「史記」
「嚢中の錐」(のうちゅうのきり)の
「由来」は『史記(しき)』中の「平原君列伝」でしたね。
「平原君」(へいげんくん)とは、どんな人?
- 中国戦国時代の趙の国の人
- 第6代君主である「武霊王」の息子
- 兄である第7第君主「恵文王」と恵文王の子である第8第君主「孝成王」を補佐する
- 数千人の才能のある人たちを抱えて君主の政治を支える
- 中国戦国時代に活躍した4人の戦国四君の一人とされる
Wikipedia 「平原君」
『平原君列伝』に出てくる「嚢中の錐」とはどんなお話でしょうか?
『平原君列伝』に出てくる「嚢中の錐」とは、
- 「平原君」(へいげんくん)と「毛遂」(もうすい)のエピソード
- 「毛遂」は、「平原君」が抱えている数千人の才能がある人たちの中の一人
「嚢中の錐」
「趙」の国の第8代孝成王の時のことです。
「趙」の首都が「秦」という国の軍に包囲されました。
それまでの戦いで、「趙」の国は、すでに数十万の将兵を失い疲弊していました。
「趙」の国の孝成王の命により、平原君は救援を求めるために「楚」という国へ派遣されることになりました。
平原君は、抱えている才能と教養ががある者たち数千人の中から厳選して20~30人を交渉の場に同行させることにしました。
最後の一人を決めかねていた時、毛遂という人物が同行したいと自ら名乗りを上げました。
その時、平原君は、毛遂の申し出を断ったのです。
「賢人とは錐を嚢中(袋の中)に入れておくようなもので、すぐに袋を破って先を出してくるものです。毛遂先生が私の所へ着て3年になりますが、未だに評判を聞いていません。お留まり下さい。」
毛遂は「私は今日こそ嚢中に入りたいと思います。私を早くから嚢中に入れておけば、先どころか柄まで出ていましたよ。」と返答しました。
毛遂のこの返答を気に入った平原君は、毛遂を「楚」の国と交渉にあたる一行に加えました。
「楚」の国に入った平原君とその一行は、「楚」の国の国王に「趙」と手を繋いで「秦」と戦うことを提案しましたが、なかなか説得することができません。
そんな時、平原君の同行者の一人となった毛遂が、剣をもって「楚」の国の国王の前に進み出て、気迫を持って「楚」の国の国王の説得を試み始めました。
「楚と趙が結べば有利。
結ばなければ不利。
「楚」と「趙」が手を結ぶのは、「趙」のためではない、
「楚」のためであるのです。」
という毛遂の弁舌により、「楚」の国の国王は「趙」の国の首都に援軍を派遣する事を約束しました。
平原君は、毛遂の才とその才がもたらした結果を喜び、「毛遂先生の弁舌は百万の兵に勝る。これほどの人物を見極められない私など、もう人を論じるまい」と語ったということです。
Wikipedia「毛遂」
平原君が、賢人のことを例えて「嚢中の錐」と言っていましたね。
それでは、『史記』「平原君列伝」の「嚢中の錐」の由来となっている漢文を見てみましょう。
ストーリーと意味を勉強しているので、もう簡単に理解できるでしょう。
あk漢文 : 平原君曰、夫賢士之處世也、譬若錐之處囊中、其末立見。
■『史記』 平原君列伝より「嚢中の錐」引用
書き下し文 : 平原君曰く、夫れ賢士の世に処るや、譬えば錐の嚢中に処るが若し。其の末立ちどころに見わる。
意味「嚢中の錐」
「嚢中の錐」とは、優れた才能を持つ人は、凡人の中に混じっていても、才能が目立って真価を現すことの譬えです。「嚢中」は袋の中。袋の中に錐を入れておくと、自然と袋を突き抜けて、とがった刃先が見えてくる。それと同じように、すぐれた人は自然と凡人の中から突き抜けて、その才能を現すということです。
ことわざのイメージ
使い方「嚢中の錐」
隣村のくま吉のことを覚えとるかな?
はいはい、もちろん覚えてますよ。
身軽で、走るのが村一番速い子でしたからね。
今では、アメリカに渡ってフットボールの選手になって活躍しておるそうじゃ。
くま吉は子どもの頃から「嚢中の錐」でしたね。
頼もしい限りですね。
良い例と悪い例「嚢中の錐」
「嚢中の錐」良い例
✔ 彼はいわゆる「嚢中の錐」で、あっという間に昇進していったね。
✔ 彼は少年野球チームでプレイしていた頃から「嚢中の錐」で、その才能はすば抜けて目立っていたね。
「嚢中の錐」悪い例
✔ 彼は中学生の頃は「嚢中の錐」で、本当に困った行動ばかりしていたね。
平原君は、賢人のことを例えて「嚢中の錐」と言っていましたね。
困った行動で目立っている場合には使いませんよ。
類義語を2つ紹介「嚢中の錐」
頭角を現す(とうかくをあらわす)
【意味】才能・技量などが、周囲の人よりも一段とすぐれる。
鶏群の一鶴(けいぐんのいっかく)
【意味】凡人の中に一人だけ交じっている、優れた人物のたとえ。
対義語を1つ紹介「嚢中の錐」
大賢は愚なるが如し(たいけんはぐなるがごとし)
【意味】非常に賢い人は、知識をひけらかしたりしないから、一見愚かな人のように見える
英文を紹介「嚢中の錐」
Gimlet in the sac
【和訳】嚢中の錐
Gimlet(錐) / sac (嚢)
Talented person will be come out from the crowd of people in future.
【和訳】能力のある人は、いずれ 群衆の中から抜きん出る
talented person (能力のある人) / will be come out (出てくるだろう) / crowd of people (群衆)
in the future (将来)
まとめ「 嚢中の錐」
いかがでしたか?
「嚢中の錐」ということわざは、世界史の授業などでも聞き覚えのある「司馬遷」が書いた中国の歴史書「史記」の中にその由来がありました。
才能がある人が活躍している時、少しその人の人生を遡ってみて、無名の頃からその才能の芽があったことを紹介する時に使います。
身近な人の中や、有名なスポーツ選手など、『あの人は「嚢中の錐」だ 』と言ってみたい人は思い浮かびましたか? ぜひ使ってみてください。
それでは、最後にまとめです。
「嚢中の錐」とは
【意味】優れた才能を持つ人は、凡人の中に混じっていても、才能が目立って真価を現すことの譬え
【使い方】子どもの頃やまだ無名の新人だった時から、その他お大勢の人より目立った才能を発揮していた人が活躍しているのを話題にする時
最後までお読み頂きありがとうございました。
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